あんなのノボシビルスク留学記(6)
(「日本とユーラシア」2008年6月15日号掲載)


ロシアの吹奏楽―ピョートル大帝が楽団を編成

 日ユ協会の皆さん、こんにちは。今回はロシア流派の歴史と特徴の続きで、吹奏楽器についてです。吹奏楽器は古くキエフ・ルーシやモスクワ公国の時代から軍隊音楽や旅芸人の楽器として活躍していましたが、その後ロシアの吹奏楽の発達に強力に関与したのはピョートル大帝です。彼は1704年に外国人音楽家を多数招聘して軍音楽家育成の学校を作り、1711年にはロシア軍のすべての部隊に小さな吹奏楽オーケストラを持つように命令しました。この頃から軍だけでなく貴族や地主の家でもさかんに音楽会が催されるようになり、私有の農奴オーケストラを持つことがはやりました。19世紀はじめにはその数は数百に上り、中でも有名だったのはシェレメチェボ伯爵家とドルゴルーキ公爵家のオーケストラです。才能豊かな吹奏楽演奏家がたくさん出て、海外公演までするレベルだったのですが、彼らは農奴としての仕事をこなしながら練習と演奏を義務づけられていたので、多くは短命で、またよく売買されたのでした。1860年代にはペテルブルグ音楽院、モスクワ音楽院が設立され、ロシア人の音楽家育成が進みますが、吹奏楽は軍隊との関係が深く、演奏家の多くは兵士かその家族、または戦争孤児など貧しい家庭出身でした。吹奏楽器においても、ロシア人の音楽センスのためか、詩情豊かでややセンチメンタル、感情が込み上げるような激しい演奏を良しとするのが特徴です。年少から始めるフルートとオーボエを例外として、吹奏楽器を専門に選ぶのは11-12歳と遅めで、ノボシビルスク音楽学校でも、ピアノ科の生徒が4年生ぐらいから吹奏楽器に切り替えていくのが普通です。また吹奏楽の生徒の大半が副科ピアノの他に声楽のレッスンを受けていることも特徴と言えるでしょう。

 寮生活の様子も少しお話しましょう。ノボシビルスク特別音楽学校の現在の寮は2005年に学校と廊下続きに新築された、ホテルのような構造の快適なものです。現在外国人17名を含む81名が住んでいます。親元から離れて一人で住んでいる子供の最年少は4年生(11歳)です。寮には寮生たちの健康と学業成績、文化レベルに気を配る教師免許を持つ寮母さんが、朝8時から夕方8時まで勤務し、夕方8時から翌朝8時までは夜の生活を見守る寮母助手2人が勤務します。他にも寮全体の管理者(副校長)、寮の設備の管理者、保健の先生が9時から5時までの勤務、警備員は常駐(24時間警備)で、寮生の生活と安全は保障されています。食事は朝食・昼食・おやつ・夕食の4回。このような行き届いた体制をロシア人は当然と考えているようですが、この種の特別学校の伝統はソビエト時代からの遺産といえるでしょう。朝6時から夜の9時30分まで学校の練習室を借りることができ、部屋での練習は夜の11時まで許可されています。子供たちはロシア特有の開けぴろげで善良な気質とプライドをもたせる教育のためか、礼儀正しく、寮内には自由で楽しい雰囲気が満ち溢れています。ロシア人の学費は無料で、寮費(食費こみ)は月1800ルーブル(約8500円)を支払うだけです。