あんなのノボシビルスク留学記(5)
(「日本とユーラシア」2008年5月15日号掲載)


バイオリン―2つの流派が競い合う

 日ユ協会の皆さん、こんにちは。今回は少し詳しくロシア流派の歴史と特徴についてお話しましょう。まずはバイオリンです。現在のロシア流派はペテルブルグ音楽院のL.アウアー(1845-1930)の奏法に始まり、その後ロシア人が最も尊敬するバイオリニストのD.オイストラフによって大きく改良されたものです。ノボシビルスクにはこの正統派奏法を守るリーベルマン派と、それにさらに改良を加えたブロン派の2つがあります。肩から腕のすべてが脱力し人差し指に伝わった重さで弾くこと、弓の元の折り返しを小指による重さコントロールでおこなうという点では同じですが、ひじの高さと、指の使い方に違いがあります。多少乱暴な表現をすれば、リーベルマン派は音色が美しく優雅で、アンサンブルやオーケストラに最適であるのに対して、ブロン派は情熱的でソリスト的な仕上がりになります。ノボシビルスクのバイオリンの水準が高い理由は、若い音楽家育成において、この2派が互いの長所を吸収しながら常に競り合いの中で成長してきたためと言えるかもしれません。もうひとつ、すべての専門科に共通するロシア音楽教育最大の特徴ですが、小さい時からテクニックと平行して音楽性を重点的に育成することです。クージナ教授のレッスンでも、杏菜は11歳なりでいいので、曲に必ず何かの場面や物語をあてはめて、形象がくっきり出るように、感情あらわに弾くことを求められます。杏菜が表現豊かに弾くと、先生はどんどん機嫌がよくなり歌いながら教えてくれるのでレッスンがますます楽しくなるのです。

 ピアノでもまるで声楽や弦楽器のように、表現豊かに歌うように演奏するのがロシア流派の特徴ですが、技術的には、指先の感覚の重視(たとえばスタッカートなどは「落とす」というよりは「つかむ・ひっかく」ような感じになる)と、手のすべての部分(肩・ひじ・手首・指関節)の柔らかい動きが特徴です。学校のピアノ科主任のシラエワ先生は、「この手の自由な感覚が表現の自由さに直結する」と言われます。実は杏菜はピアノを表現豊かに弾こうとすると腕をタコのように動かす癖があり、奏法の違う日本ではよく注意されていたのですが、ロシアでは「もっと心を込めて、もっと自由に手を動かして!」と言われるので、杏菜は「ママ、ロシアではタコしてもいいみたいやな」と大喜びです。バイオリンでもピアノでも「ネコちゃんの手のように柔軟に!もっと指を使って!」と同じ注意になるのが面白いところです。ノボシビルスク特別音楽学校では、ピアノ科は初級クラスからアンサンブルのカリキュラムがあり、2台のピアノで弾いたり他の楽器とあわせたりして、ピアノ伴奏者としての訓練も平行しておこなわれます。また生徒の希望によってオルガンのレッスンも受けることができます。

 杏菜のいる4年生の授業科目は、ロシア語、算数、文学(これが主要3科目)、歴史、理科、外国語(英語またはドイツ語)、コンピュータ、体育、ダンス、音楽史、ソルフェージュ、合唱です。主要3科目は担任のノフリナ先生が教えますが、あとはすべて専科の先生です。毎日宿題がたくさんでます。文学はノブゴロドの時代からはじまり、古典をかなりのスピードと量で読み進んでいきます。文学作品のペレスカス(内容を自分の言葉でまとめて言う)や暗記が宿題にでます。杏菜も9月、10月でクリロフの寓話と、プーシキン、ジュコフスキーのおとぎ話と数々の詩を暗唱しました。私が「その単語の意味知ってるの」と聞くと、「知らない」と答える杏菜。意味なしに音とリズムだけで作品を暗唱するなんて芸当は、大人にはとうていできないですね。算数は、日本では計算の約束事を教えてあとはひたすらスピード・トレーニングをするのに対して、ロシアではすべて頭が変になるような文章題で、しかもわざと答えが出なかったり、いろいろなやり方を比較させたりします。思考力、創造力を育成することに重点が置かれているといえます。音楽家育成のために最重要の教科は週2回のソルフェージュと音楽史で、音楽だけでなくバレエやオペラについても詳しく習います。杏菜は1学期をロシア語の4点を除き、他科目はすべて5点で終えました。次回は各専門科における流派の特徴、寄宿舎での生活の様子をお話しましょう。