あんなのノボシビルスク留学記(3)
(「日本とユーラシア」2008年2月15日号掲載)

 私たちにまず立ちはだかったのはやはり言葉の問題でした。私はロシア語通訳であるけれど音楽については素人で先生の言われている意味がわからない。音楽が分かる杏菜はロシア語がわからない。もうひとつの問題は、日本でやっていたことと外見上きわめて似ているために、バレエが専門で肉体の動きがよく見える私にも、どこがどうちがうのかが理解できない。分かるのはすべてが違うらしいということだけでした。しかしこれは日本のバイオリンの先生の教えが正しくなかったということではありません。
「流派」とはそういうものだということです。ひとつの流派は基礎から上級まで技術面で一貫して構築されているために、途中から継ぎ足すことができない。いかに優れた演奏者でも別の流派を習得するには、また一から階段を上がるしかないのです。

「心配するな」の自信

 とくにロシアではあらゆる芸術分野で科学的アプローチをする伝統があり、演劇でもバレエでも音楽でも確固としたメソードを持っていることはよく知られています。音程や暗譜のためにもソルフェージュ理論を使い、演奏技術でも常に「なぜならば」という科学的な理由づけが伴います。先生方も技術を教えることには完全な自信があり、「ちゃんとできるようにするから心配するな」という姿勢です。杏菜が2007年9月から転入した特別音楽学校の弦楽器科主任のO.V.マルチェンコ先生にも尋ねてみましたが、「どんな変な手でやって来ても、2、3年でロシア流派に修正して弾けるようにできる。」との答えでした。当の本人は死に物狂いなんだけれど。私たちはさんざん苦しんだ後、イリーナ先生の提案でレッスンをカセットテープに録音し、家で聞くようになってから私にバイオリン用語が分かるようになり、杏菜も徐々にロシア語の注意が理解できるようになって、ようやく奏法の修正が軌道に乗るようになりました。すでに2ヶ月が過ぎた11月のことでした。

 ロシアの学校は4期制で、11月始め、1月始め、3月末にそれぞれ秋休み、冬休み、春休みがあり、夏休みは6、7、8月の3ヶ月間です。音楽院付属学校では各学期末に音楽院小ホールで試験コンサートがあり、事前に音階とエチュードのテストに合格した者だけが出演し、点数は公表されます。11月、なんとか右手の基本ボーイングと左手の指の使い方、チェンジの方法を習った杏菜は、初めての試験コンサートでF.シューベルトの「蜜蜂」とK.ボムの「途切れのない動き」を弾きました。この後杏菜の運命は予想外に展開していくのです。