あんなのノボシビルスク留学記(1)
(「日本とユーラシア」2007年11月15日号掲載)
 すべて事の始まりは2年前2005年のクリスマスでした。クリスマスの朝、「ママ、サンタさんに、私は物のプレゼントは何も要らないから、私がバイオリニストになれるようにチャンスをください、ってお祈りしといたよ。」と杏菜が言いました。以来、あれよあれよという間に、彼女は、世界的名バイオリニストのV.レーピン、A.バラホフスキー、M.ヴェンゲロフを出したノボシビルスク名門音楽学校の正式な生徒になってしまったのです。

ロシア文化の奥深さ
 日ユ協会の皆さん、協会誌読者の皆さん、はじめまして。私は現在シベリアのノボシビルスク特別音楽学校(カレッジ)の4年生にバイオリン留学中の田中杏菜(11歳)の母、田中ひろ子です。これから杏菜の生活を通して、ロシアの優れた音楽教育や、音楽学校の子供たちの様子を数回にわたってレポートします。今回はそれにいたった経緯をご紹介しましょう。私たちに尋ねられる最初の質問は、「なぜよりによって留学地をヨーロッパやアメリカではなくロシア、しかもノボシビルスク(シベリア)にしたのか。」ということですね。話はずっと昔にさかのぼります。1993年3月、私は国立ノボシビルスク大学日本語科のO.P.フロロワ教授の招きでノボシビルスクを訪れ、Y.V.リハチョワさんの家に滞在しました。彼女はロシア文学銀の時代の詩の研究者で、積極的な文化活動家でした。当時彼女のまわりには画家、演劇関係者、詩人、音楽家などユニークな教養人・芸術家たちが多く集まっており、彼らとの交流の中で、私はロシア文化の高さと奥深さを知ることになります。もともとロシア・クラシック・バレエが専門分野であり、ロシア語通訳でありながらロシアの歴史や文学をほとんど知らなかった私は、リハチョワさんから聞くソ連時代の作家たちの話に、強い印象を受けたのです。短期間の間にロシア詩文学の虜になってしまった私は、それ以来数年にわたって機会あるごとにリハチョワさんのもとを訪れ、アフマートワの詩の勉強を続けました。ある日二人で散歩中、窓からバイオリンの音が聞こえてきました。リハチョワさんは、ノボシビルスク音楽院はモスクワ音楽院、パリ音楽院に並ぶ水準であること、とりわけバイオリンは有名で、ロシアを代表するバイオリンの流派があること、ノボシビルスク音楽院には付属音楽学校があること、普通ロシアでは音楽学校から音楽専門学校、優秀であればそのあと音楽院へ進むというコースをとるが、特に才能のある少数の子供たちはこの音楽院付属学校に入学が許可され、小さい時から音楽院教授たちが指導に当たる」と話してくれました。

小さい子どもでもOK
 そして2006年春に話は飛ぶわけです。詩人アンナ・アフマートワにちなんで名づけられた杏菜(あんな)は9歳、京都市にある私立文教短期大学付属小学校の4年生。生まれながらの楽天家で音楽が大好きな杏菜は、4歳からピアノ、5歳からバイオリンを習い、8歳からは宇治市少年少女合唱団員として頑張っていました。各先生方の熱心なご指導により、音楽で充実した力をつけてきていた杏菜は、将来はバイオリニストになりたいと思い始めていました。「小さい時に一度短期で外国に勉強にいくのは、将来音楽家になるのに大きなプラスになるだろう。」と家族が考え始めていた時でもありました。ある日私はふと10年前のリハチョワさんの話を思い出し、ノボシビルスクに住む友人に「子供はまだ9歳なんだけど、どんな形でもいいから音楽院付属音楽学校で短期でバイオリンの勉強ができないか聞いてほしい」と頼みました。その結果、小さい子供でもOKで、期間も希望通りでいいとのこと。何も考えないで決めたら走るのが猪年生まれの私の特徴ですが、このときもそうです。杏菜は「サンタさん、もうお願い聞いてくれたなあ。」と大喜び。小学校のほうも、9月から3月までの休学で、4月から5年生に復学する約束で、学校理事会から許可をいただきました。バイオリンの2人の先生からも「子供が基礎力をつけるためにはドイツかロシアがいい」と賛成していただき、あと私たちに残る問題はたったひとつ。半年前から飼い始めた杏菜の愛犬ラブラドールのロンドくん(当時生後8ケ月)をどうするかです。小さい時から犬好きで、犬を飼いたくてしかたなかった杏菜のやっとかなった夢(ちなみに「私のところにかわいい犬が来てくれますように」というのが2004年クリスマスのサンタさんへのお願いだった!)。どうやってこの大型犬をシベリアまで運ぶかさんざん考え悩んでいたところ、「半年なんかすぐ経つ、その間は世話しとくから。真剣な勉強に行くのに犬なんか連れて行けへんやろ!」というパパの一声であっさり解決。ロンドくんは杏菜と離れて日本に置き去りになることになりました。

 2006年8月14日、私と杏菜は期待を胸にロシアにむけて出発したのです。実際現地に着いてみると、現在のノボシビルスク音楽院付属音楽学校(通称リツェイ)は、リハチョワさんが話してくれた名門音楽学校とは別の学校であることが判明。(元の付属学校は2003年に音楽院から独立し、モスクワの連邦文化局直轄の特別音楽学校に昇格していたのです。2007年9月から杏菜はこちらの学校に移りました。)しかし、この間違いが幸いして杏菜はマリーナ・クジナ教授の生徒になることができたので、まさに運命の導きとしか言いようがないでしょう。2006年9月からの1年間の出来事は次回にお話したいと思います。